2021/05

「論語」の概要

<目次>
●論語とは
●内容
●論語由来の古事成語
●江戸時代の朱子学
●渋沢栄一と論語

  

■論語とは

・どんな書物か

孔子とその弟子たちの言行を、孔子の死後に記録したもの。孔子とは春秋時代の中国、魯という国に生まれた思想家(前551-前479)。釈迦牟尼(仏陀)とほぼ同時期(生年を前6世紀とした場合)、ソクラテスより少し前の時代を生きた人ということになります。儒教の経典のひとつで、簡素な言葉で書かれているため、入門書として普及。

・どのように成立したか

当時は印刷技術がなかったため当然筆写していたわけですが、多くの写本があり、どれを正統とするかは判断が難しいそうです。実際のところ、誰が書いて誰が編集したのかもはっきりとしていないようです。

漢の時代には3種の異本が存在していたとされており、それをまとめた注釈本が流布していたようですが、その後全て失われてしまいました。現存する最古の注釈本は、この漢の頃の注釈本を元にして魏の何晏らによって作られた、『論語集解(ろんごしっかい)』です。

論語を現代語訳する際等に最も重んじられているのがこの『論語集解』。その他無数の注釈本があり、注釈のまた注釈である、注疏(ちゅうそ)本も存在し活用されています。

・日本ではいつ頃から読まれているか

古事記に応神天皇の時(3世紀頃?)に百済から持ち込まれたとの記述あり。奈良時代には官吏登用などの際に必読とされるようになり、平安時代に作られた『日本国見在書目録』の中にも何晏の注などの記載があるとのこと。『論語集解』が木版印刷され広く普及したのは南北朝時代の1346年。江戸時代に入ると論語は教養の中心となり、武士階級の必読書となるばかりか、一般庶民にまでその名が浸透するようになりました。

・論語の構成

全10巻20篇(前半10篇を「上論」、後半10篇を「下論」ともいう)、約500の短い章句で構成。各篇の名称は、書き出しの2文字ないし3文字がそのまま当てられています(子曰は除く)。

  
  

■内容

断片的な短い章句を集めたものなので、体系づけられた思想が語られているわけではありませんが、主要なテーマとしては「徳治政治」があげられます。徳を持って政治を行えば秩序は保たれる、為政者が自らを正すことで人民を正しく率いることができるという主張。

また、孔子は人間以外の存在、霊魂などの世界を語りません。奇跡のようなことは一切持ち出さず、人間の世界と神の世界を切り離して、まずこの生を真摯に生きることを説きます。

子不語怪力乱神。

(訳)老先生は、怪力や乱神(怪しげな超常現象)についてはお話にならなかった。

〜述而 第七〜「論語」加地伸行 訳(講談社学術文庫)


怪・力・乱・神と分ける解釈もあり、その場合は順に怪異・怪力、暴力・無秩序、背徳・霊魂などとされています。

子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣。

(訳)老先生はこうお答えになった。「民としてあるべき規範を身につけるように努力し、心霊を尊び俗化しない。そうであれば知者と言える」と。

〜雍也 第六〜「論語」加地伸行 訳(講談社学術文庫)


霊魂や神のようなものを”敬して遠ざける”、心を奪われることのないよう努めていたということです。この句が「敬遠」の語源となっています。他にも「生の意味さえつかめていないのだ。ましてや死などわかるはずもない」といった句もあります。

このような性質は、渋沢栄一が「論語と算盤」の中で孔子を信奉する理由の一つとして挙げていますが、一方で、ドイツの哲学者ヘーゲルは、孔子の教えはどこにでもある平凡な道徳に過ぎないと批判していたそうです。

  
  

■論語由来の故事成語

・一を聞いて十を知る
・可もなく不可もなし
・過ぎたるは猶及ばざるが如し
・和して同ぜず
・己の欲せざる所は人に施すなかれ
・義を見てせざるは勇なきなり
・明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり
・三十にしてして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る など

  
  

■江戸時代の朱子学

論語と言えば儒教ですが、江戸時代の日本で論語が教養の中心になった頃、最も影響力があったのは、儒教を発展させたとされる「朱子学」でした。

論語を重要な経典としていますが、実際には儒教とはかなり異なるもので、孔子の道徳的な性質はほとんどなくなり、人としての道徳というよりは、言ってみれば形而上学的性格が強いものでした。語弊があるかもしれませんが、何かにつけ「厳しい」雰囲気になっています。

朱子学のそのような性格からも極端な理論に偏りがちであり、また金銭を蔑視する傾向にあったため、自ずと「経済活動は悪」「商売は賤むべきもの」となっていったようです。

  
  

■渋沢栄一と論語

2024年に紙幣が一新されます。一万円札の肖像は渋沢栄一ということで、ここで「論語と算盤」についても触れてみたいと思います。この「論語と算盤」を残した渋沢栄一は、江戸時代末期から昭和の初めを生きた人です。

先に述べたように、江戸時代の日本には朱子学が浸透しており経済活動を悪とする傾向があったため、その影響を強く受けていたいわゆるエリート階級の武士たち、つまり国家を担う人々に、全く経済観念がないことに渋沢は危機感を覚えます。一方金銭を扱う人々においては、その行動に道徳が追いついていないことを見て取り、改善が必要であると感じます。

論語が曲解されたことも原因で、道徳と経済は相入れないものとされ、武士が信奉する論語と商工業者の象徴でもある算盤というのは、水と油と言っていいくらいに交わることのないものだったようです。明治維新を経ても尚バランスを欠いた日本の状況を、なんとか発展させていくためには、道徳と経済というこの2つをどうしても融合させる必要があり、そこで渋沢栄一がたどり着いたのは論語を活用するということでした。

論語をくまなく読んでみてもそこに経済を悪とする記述がないことをあげ、儒教の教えと経済には何ら矛盾がないことを説いていきます。「論語と算盤」は、そうした活動の中で渋沢栄一が行った講演の記述をもとに編集され、1916年(大正5年)に発行されました。