2021/05

食べない人たち

■食べなくても生きられる?

ここ15年くらいでしょうか、断食で病気を治すとか、朝食抜きダイエットとか、何かと「食べない」ことが注目されてきたと思います。何を”食べるか”よりも、何を”食べないか”ということに気を使わなければ、体に有害なものばかりを食べてしまうことになる世の中。そんな中で、全く食事を取らずに生きている人たちも出てきました。日本で有名なのは弁護士の秋山佳胤さんなどでしょうか。そんな、自らの意思でものを食べずに生きることを選択している人は、実は世界中には何万人もいると言われていたりもします。
パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」の中でも、ひとかけらの聖餅だけしか口にしないテレーゼ・ノイマンや、熱心な祈りによって啓示を受け、呼吸法などの修行によって食物を必要としなくなったギリバラというヨギのことが書かれています。また、『リヴィング・オン・ライト』『神々の食べ物』などの著者、ジャスムヒーンさんという方は、自身の経験と研究を元に、食べないことを段階的に実践していくプログラムも提供してきたようです。


■神々の食べ物

今私の手元に、ジャスムヒーンさんの著書『神々の食べ物』があるので、内容を少し紹介させていただきます。まず、「神々の食べ物」とは何かということですが、いわゆるプラーナと呼ばれるものや、内側からもたらされる光、チャクラなどから流入するエネルギーなど、物質以外の領域から摂取する栄養のことを指しているようです。バイオフィールドつまり、肉体を取り巻く生体エネルギー場の周波数を高めていくことで飢えをなくし、古来からのヨギたちが行ってきた方法を応用し様々なプログラムの実践により、この「神々の食べ物」を取り入れていきます。この本の1章は次のような文で始まります。

対象を特定できるできないにかかわらず、誰もが何かに飢えています。そして人間の飢えのほとんどは、簡単に識別できます。多くの人々が愛に飢え、またある人々は富に飢えています。健康と幸福への飢えもまた、私たちの時間を支配します。(中略)またある人々は霊的に満たされることに飢えて、まるで日々の食事を摂るように悟りを求めます。そのような人々はより説明しがたい飢えに動かされているからです。

〜「神々の食べ物」ジャスムヒーン 著 (ナチュラルスピリット)〜


そしてこの後、無限の栄養源の鍵を握るとする、DOW(Divine One Within〜内なる神〜)というものが登場するのですが、このDOWを知るという”飢え”を満たすまでは、人は決して満足できないそうです。つまり、この内なる神の探求が、全体を通してのテーマともなっています。そのため、紹介されているテクニックは、ものを食べないことを目的としない場合でも、活用できるものになっていると思います。

私たちのDOWにはすべての飢えを満たす力があるのです。私たちが、DOWの力とそれに自然に伴う恩寵の流れを意識的に取り扱うことで、私たちの人生は気楽さと喜びのスムーズな流れとなり、何事も問題ではなくなり、全体の中で、すべてが完璧な調和とバランスをとって機能するようになります。

〜「神々の食べ物」ジャスムヒーン 著 (ナチュラルスピリット)〜


物質に焦点を合わせすぎて、眠ってしまっているこの内なる神を呼び覚ますことが、目的であるとも言えるかもしれません。先にあげたヨギ、ギリバラは、「食べずに生きる方法を人々に教えたら、お百姓さんたちはさぞ私を恨むことでしょうし、おいしい果物も、地面に落ちてむだに腐るばかりです」とし、ではなぜあなただけが何も食べずに生きていけるように選ばれたのかと訊ねられ「人間が霊であることを証明するためでございます」と答えています。人間が霊的に向上するにつれて、次第に光によって生きられるようになることを証明するためだそうです。つまり、食べないで生きることは、人類の可能性のひとつであって、進化の指標のひとつであるということかもしません。


■最後に

日本で、この「食べない」という実験を初めて公にしたのは、2004年に「不食」という本を出した山田鷹夫さんという方ではないかと思います。実は私も、この本を当時出版後すぐに入手し、自己流で実践したりしていました。それまでも多分、どこかで空腹が健康にいいということは聞きかじっていて、空腹の気持ち良さも知っていたので、人はもしかしたらこうやって進化していくのかなと半ば本気で考えていました。あれから様々な食生活遍歴を経て、今ではそれ程こだわることなく時々の調子をみて食べています。
スピリチュアル界隈でも、食べるか食べないかということに関してはよく、結局どっち?みたいなことが話題に上ることもあるようですが、私は今はどちらでもいいのではないかと思っています。肉体を維持するために、どちらにせよ栄養が必要であるならば、それがプラーナからであろうと、食物からであろうと変わりはないように感じるからです。ただ、「食べなくても大丈夫」と知ることは、多くの人にとって安心と希望をもたらすことは確かだと思います。