2021/07

哲学の始まり

■そもそも哲学とは

哲学(フィロソフィー)とは何かということに関しては、それ自体が哲学的問いであると言われることもあるくらい、定義するのが難しいものとされています。日本で「哲学」という言葉ができたのは明治になってからのようですし、明治よりはずっと前であろう、この哲学の始まりというところから考えたときに、日本的な“ものの考え方”は、いわゆる哲学的なものではなかったのだろうな、ということは言えるかもしれません。


■枢軸時代

ひとつの指標として、ドイツの哲学者カール・ヤスパースによって名付けられた「枢軸時代」というものがあります。これは、前8世紀から前3世紀までの約500年間のことで、どんな時代かというと、それまでの神話的な世界の捉え方から、より合理的な世界理解へと移行していった時代のこと。

この時代に、地球上の異なる場所で、ほぼいっせいに特徴的な思想や文化が発生しているのです。中国では孔子や老子、インドではウパニシャッドや仏教、西洋ではミレトスのタレスや、ギリシャでソクラテス、プラトン、アリストテレスなどなど。この枢軸時代がいわゆる、哲学の出発点であると捉えられているようです。


■西洋哲学史

ということで、枢軸時代という哲学の出発点が見えたわけですが、一般的に哲学者といったときに思い浮かぶのは、大抵の場合、西洋人ではないかと思います。アリストテレス、デカルトやカント、ニーチェやハイデッカーなど。

『西洋哲学史』今道友信 著(講談社学術文庫)の中でも、“哲学はタレースから始まる”としています。先の枢軸時代のところで出てきたミレトス(ギリシア植民地)のタレスです。万物の根元は水であるとした人。(と言っても、タレス自身が何か書物を残したわけではなく、いろいろな人が“タレスがこう言ってたああ言ってた”ということを、自分の本の中で言及している部分を集めてきて、タレスの思想の全体を知るという方法をとるそうです。)

物事を徹底的に根底から考え直そうとするスタンス、原理の探求に徹する心意気、そのような学問的探求が始まったのは、やはりギリシアという地であったということのようです。目の前に起こっている出来事に反応するだけでなく、その出来事が、なぜ起こるのだろう?といったことを、神話以外で説明しようとする試みがはじまったのですね。