2021/07

イデア

哲学の始まりで書いたように、哲学の始まりはギリシアであったということですが、このギリシアの哲学者といえば、「ソクラテス」「プラトン」「アリストテレス」の3人が主な人物としてあげられます。そしてソクラテスからプラトンに受け継がれアリストテレスが引き継いだものの中に、“イデア”があります。哲学に少し興味のある人なら、どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。

物の本質であり、設計図や鋳型のようなものでもあり、人が未知のものを知っていくのは、かつて魂が見て知っていたこのイデアを「思い出して」いるのだ、というようなこと。後にその概念のようなものが複製されていく中で複雑になっていった感はありますが、プラトンが描き出しているのは割とシンプルな世界です。神の存在は前提であって、善と悪の区別がはっきりしている中で対話が成り立っているからでもあります。

「知らない」ということは、魂が本当は知っていることを忘れているからで、ならば「思い出せばいい」ということなのです。ただ、その“思い出し方”についてあれこれ考える中で、人間の知恵が磨かれ、知識として定着していくということではないでしょうか。

イデアということについて、『西洋哲学史』の中に、すっきりと腑に落ちる説明があったので引用させていただきます。

あるとき、それまでの人という人が、みな、太さのある縄で土地を測量しており、それで満足していたのに、タレースだけは、この目にみえる縄とは違って、長さしかない、幅もない、そういう直線は考えられないか、と問い、はじめてそこで幅のない長さしかない線というもの、すなわち、縄のイデアを精神の目でみたのだといっていい。地上に描かれる丸い指標とちがって位置しかないという点のイデアをみたのだといっていい。長さも大きさもなくて、ただ位置だけがあるものとしての点というようなものは、この地上のどこにも見あたらず、ただ神の世界のなかに初めてありうることでしょう。

『西洋哲学史』今道友信 著(講談社学術文庫)