2022/02

仏教③密教

密教という言葉は、きっと多くの人が耳にしたことくらいはあると思いますが、秘「密」の「教」えなのだから、一般には知られていないもの、くらいに捉えられているかもしれません。

「空海」を取り上げた番組や映画、その他の創作物などによっても、マントラや印契がよく知られるようになったとはいえ、そのことによって逆に、それは物語の世界の話なのか宗教の話なのか、わからなくなっていたりもするような気がします。

近年ではカルト教団などでその教えの一端を都合よくアレンジして悪用してしまうなどということもあったりします。一体密教とはなんなのか、その概要を以下にまとめてみました。

<目次>

■密教とは
■成立の過程
■密教の要点を理解してみる

→チベット密教について(別ページ)

■密教とは

密教といえば、一般的には「秘密仏教」のこと。仏教において広く民衆にも知られているような教えを「顕教」と言い、その教えが”深淵”で誰もが理解できるようなものではないものを「密教」とします。

仏教に限らずどの宗教にもそういった性質は見られ、その背景には、”真実というのは隠されているもの”という共通認識みたいなものがあり、誰もが理解できるということは、それだけ”表面的な”ものであって、宗教としてそれは”ありがたい”教えではないということでもあるようです。

定義のようなものとしては、それが「神秘的」であり「儀礼的」であり、また「象徴主義的」であるということ。つまり、非日常的な手法によって超越的存在を崇拝し、自らもその力を身につける(一体となる)という目的のための教えと言えるかと思います。


■成立の過程

密教の生まれた地はインド。仏陀の頃から約1000年経った、5世紀頃から始まったとされています。ですが、インドの思想周辺はかなり煩雑でもあり、後の研究によって体系づけられてはいるものの、このインド思想の中から、これが「密教」だと言えるようなものをより分けるのは難しいと思います。土着の信仰やヒンドゥー教、その他人々の切なる願いや何かが入り混じった、”おまじない”もようなものから始まっているとも言えます。

そういったおまじないが密教として成立していく過程には、「仏教の衰退」ということが関係しています。ブッダの思いとは裏腹に、仏教もまた宗教争いの中に巻き込まれていく過程で、基本的に出家主義である仏教が”生き残る”ためには、新たな戦略が必要になります。それが”現世利益”や”他力救済”などの大乗仏教の思想であったりするわけですが、とりわけ密教においてはより独自性を追求し、ヒンドゥー教では扱わないような分野を開拓していくことに傾いていきました。即ち「性」の領域であって、それがいわゆるタントリズムを生み出していきます。

ヨーガにおいても、性エネルギーを昇華させ生命エネルギーとして活用すような修行法があったり、古来より性器信仰などはよく見られるものでもありますが、基本的に性行為を教理の中で肯定するといったことは、密教以前にはなかったようです。

密教の成立過程には、前期・中期・後期があるとされていて、この流れの中で、マントラや特殊な瞑想法が開発されたり、他宗教の神々を仏教に取り込んで整理分類したりして教理を確立していき、後期において性行為を修行に取り入れることに成功します。このように密教化することによって巻き返しを図った仏教ですが、13世紀にはイスラームの勢力におされ、インドにおいては密教を含めそのほとんどが消滅してしまいます。

現在宗教としての密教が残っているのは、日本、チベット、ネパール、ブータンのみとなっています。ちなみに日本密教である真言宗、天台密教においては原則、性的な要素を含むことはないようです。

(タントリズムに関してはここで詳細を述べませんが、密教の特徴でもあるこのタントリズムというものは、仏教以外の宗教にも存在しています。密教=タントリズムという見方もあり、従って「密教」が秘密仏教以外を指す場合もあります。)


■密教の要点を理解してみる

そもそも、神秘的な儀式やマントラなどを通して、密教で目指されているものはなんなのか?ということですが、前期の頃それは現世利益であり、中期になって解脱を求めるようになり、段々と過激になりあまり触れたくない内容まで含まれていきますが、そうなってくるともはや、実践者にとってそれが仏教であるという認識はないのではないでしょうか。部外者から見たら本当にどうでもいいようなことやとんでもない理屈が多いようにも見えますが、要点だけに絞って、以下でその構造的なものを見てみようと思います。

密教成立の中期(7世紀中頃)に作られたとされる、「大日経」=「大毘盧遮那成仏神変加持経(だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょう)」、略して「大毘盧遮那経」(だいびるしゃなきょう)によって、密教の中枢が確立されます。

そしてその大日経の中に登場する「大日如来」が密教の本尊とされています。マハー・ヴァイローチャナ(遍く照らすもの)の意訳で(大いなる光のホトケ)、音訳は「摩訶毘盧遮那仏(まかびるしゃなぶつ)」。ヴァイローチャナは元々大乗仏教における仏の一つで、奈良の大仏はこの仏の像。”マハー(偉大な)”がついた場合は、密教の大日如来のことを指します。宇宙に遍く存在する色も形もない真理そのものであって、全ての物事が大日如来の現れである故、従来忌避されてきたような諸々のことも、大日如来の視点からしたら全て聖なるものである、という観点によって成り立っているのが密教とも言えます。

この「大日経」によって大乗仏教から密教へと変貌していき、その約半世紀後に編まれた「金剛頂経」で、より密教色の強い思想による修行法などが開発されていきます。「金剛」とはダイヤモンドという意味で、密教では”真理を象徴するもの”としてよく使われる用語。日本が取り入れたのは主にこの二つの経典であり、この後さらに発展(?)した密教がチベットで継承されているようです。ちなみにこの大日経、インドの善無畏によって漢訳されましたが、原典は見つかっていないのだそう。

森羅万象が大日如来たるホトケから現れ出たとするので、他宗教の神々までをも当然の如く取り込んでいきます。広く信者を集めるためにも、ヒンドゥー教で人気のあった神々も”仏教に移籍してきた”ということにして、仏教の仲間入りをさせます。日本において「天」がつく神々、弁財天や毘沙門天などがそれで、神仏習合によって神道にも取り込まれているため”神さま”という印象が強いかもしれませんが、仏教にも籍をおいています。

密教経典が示す世界観に基づいて、世界の成り立ちや、生成される過程などを図絵で表現したのが、「マンダラ」と呼ばれているもの。主に「胎蔵マンダラ」と「金剛界マンダラ」があり、それぞれ「大日経」と「金剛頂経」の真理を元に構成されています。

「胎蔵マンダラ」は、中心に大日如来を据え、その周囲に様々なホトケを配し、一番外側に他宗教から移籍してきた神々を置きます。大日如来の慈悲が遍く全宇宙に行き渡り、様々な形をとって働いているという真理を描き出しているのだそうです。

「金剛界マンダラ」の方は、九つの部屋に別れていて、それぞれの部屋に意味があります。また悟りに至る道筋が織り込まれており、修行者はこのマンダラを、瞑想の際に霊的な装置として活用します。初期の頃は、マンダラは土の上に描かれ、瞑想が終わると消されるものだったようです。

マンダラを前にして印を結び、マントラを唱え、仏の姿を思い描き瞑想をする。それが密教における「身・口・意」の三密で、身体、言葉、心の行いを調えることでホトケと一体となるための修行ということになります。


→チベット密教について



主な参考書籍:「密教(正木晃 講談社)」「密教の思想(立川武蔵 吉川弘文館)」「マンダラとは何か(正木晃 日本放送出版協会)」