2022/02

仏教③密教<チベット密教>

<目次>

■チベット密教の歴史
■チベット仏教における「顕教」と「密教」
■4大宗派
■ダライ・ラマ政権とは


■チベット密教の歴史

チベットに仏教が伝わったのは、7世紀の中頃、吐蕃王朝ソンツェン・ガンポの時。唐から文成公主を后として迎え入れ、それと同時に仏教が伝わります。そしてこの頃、ネパール経由でインドの仏教もまたチベットに伝わってきます。

中国からの仏教、インドからの仏教、そこにはもちろん違いがあり、貴族たちの間では中国派、インド派と意見がわかれます。また日本でもそうであったように、仏教自体を廃する動きがあったり、政治との絡みもあり一筋縄ではいきません。

そこで8世紀の後半、チベット王国最盛期の王ティソン・デツェンは、仏教をチベットに根付かせるために、インドのナーランダー僧院よりシャーンタラクシタを招きます。廃仏の勢力は強かったものの、なんとかその試みは成功します。この時始めて僧が修行するための僧院(サムイェー僧院)ができ、戒律を受けた正式な僧が誕生しました。

チベットに仏教が伝わった時期というのが、ちょうど密教成立の時期と重なっていたため、初めから仏教自体に密教が内包されているといった状態が、チベット仏教の特徴でもあります。実際にこの時期、次々にやってくる仏教僧と一緒に、密教行者もチベットを訪れます。パドマサンバヴァという行者は、従来民間で信仰されていたボン教と密教を融合させることで、チベット独自の密教を生み出しそれが後に、ニンマ派という4大宗派の一つとなっていきます。

この頃に中国経由でもまた、禅系の仏教が流入し勢力を増していきます。基本的にインド仏教は功徳を積む修行が必要となり、瞑想だけで悟りを得るというような禅系とは対立することになります。インド仏教か中国仏教か、いよいよ決着をつけるときがやってきます。

インド側は、シャーンタラクシタの弟子、カマラシーラ。中国側は、禅僧摩訶衍(まかえん)。サムイェー寺でこの2人を対決させることで、どちらの仏教を取り入れていくかを決定することになります。論争は長く続きますが、最終的には王によってカマラシーラの勝利が決まります。こうして、基本的にはインド仏教を採用していくことにはなりますが、摩訶衍の主張すなわち禅の修行も多く取り入れることになり、更に中国からの道教、土着のボン教などさまざまな要素が融合しながら、チベット密教はかたちづくられていきます。

この後9世紀後半、吐蕃王朝は衰え分裂し、各地で独自に展開した宗派は、さらに密教色を強めていきます。そして13世紀に、強大化していたモンゴルの侵攻を受けたことが、その後のチベットにおける仏教の運命を変えていくことになります。

チベットに攻め入ってきたモンゴル人は、チベット密教に魅せられ、多くの金品をチベット僧に貢ぎました。侵攻を受けたことで逆に、チベットは豊かになり、それゆえますます仏教を重んじるようになります。また宗教と政治がより一層不可分のものとなっていきます。

後に元王朝を建てた皇帝フビライは、当時チベットで大きな力を持っていたサキャ派の長、サキャ・パンディタの甥パスパを招き入れます。パスパはフビライの信頼を得、フビライを施主とする聖俗両輪の関係性を築くことに成功します。いかにモンゴルとの関係性を保ち経済的支援を受けるかということが、チベット仏教界の関心事ともなっていきました。


■チベット仏教における「顕教」と「密教」

先に述べたように、チベットに仏教が伝わったのは密教が成立した時期と重なっていたため、仏教=密教といった見方もできますが、基本的にチベットで仏教を修めようとする場合、宗派によって違いはあるものの、まず顕教の教理を身につけ修行を積み認められた修行者のみが、密教修行に進むことができるとされているようです。そういった意味でも、密教は仏教の一部門であって、密教が独立して存在しているというわけではないといということです。

チベットにおいては、両親の希望のもと、7〜8歳という幼い頃に出家をすることが多く、それはおそらく民族あげての子女育成といった側面もあるため、まず語学や道徳的なことを学び始めるといったことからも、チベットにおいて仏教は“顕教ありき”となるのだろうと思います。


■4大宗派

現在チベット密教には4大宗派があるとされています。ニンマ派・サキャ派・カギュ派・ゲルク派の4つ。ニンマとは「古い」という意味で、ニンマ派以外の3つは「新しい」という意味のサルマ派とされます。

「ニンマ派」は、パドマサンバヴァをその源流とし、8世紀頃のインド密教に基づきます。「サキャ派」は、先にも上げたようにモンゴルとの関係によって13世紀から14世紀にかけて、実質的にチベット高原を支配しました。「カギュ派」は、派閥間の抗争を勝ち抜くために”転生活仏”制度を作り上げ、見事に成功。悟りを開いた高僧は、敢えて解脱はせずこの世に何度も転生し、衆生の救済にあたるのだという理論を展開します。現在最大勢力をもつ「ゲルク派」は、カギュ派の転生活仏制度を模倣し「ダライラマ政権」を築き上げました。15世紀初めにツォンカパによって開かれます。

ツォンカパがゲルク派を開いた頃、チベッ仏教界は、独自化した密教への偏りが甚だしく、ドル(呪殺)やジョル(性的ヨーガ)が横行していました。こうした僧侶の堕落を食い止め、仏教の本来の姿を取り戻すために、ツォンカパは「徳行」を意味するゲルク派を創始します。ツォンカパ自身は世俗には関わりを持たなかったようですが、その弟子たちがダライラマ政権を生み出し、宗教と政治の両方で権力を握るようになり、17世紀から現在に至るまで、チベット高原においてその勢力を保っています。


■ダライ・ラマ政権とは

ダライ・ラマとその周辺情報は、きっと多くの人が見聞きしたことがあるかと思いますが、そもそもダライ・ラマとは何なのでしょうか?どんなルールで決められ、何を担っている方なのでしょうか?

率直にいってしまえば、もともとダライラマ制度とは、チベット仏教界において、抗争を勝ち抜くために考え出された制度であって指導者を神聖化するためのもの。その称号は、1578年モンゴルのアルタン・ハンによって、ゲルク派のソナム・ギャンツォがモンゴル布教中に始めて授けられました。

その時点で既に、ソナム・ギャンツォは「3世」で、前世と前前世(とみなされた高僧)に対して1世と2世の称号が与えらます。そして「大いなる5世」として親しまれたダライラマ5世が、「ガンデン・ポタン政府」を築き、政治的にも最高指導者となりました。

現在ではより複雑な事情もありますが、いずれにせよ、チベットの指導者は、世襲でもなく選挙でもなく、先代の“生まれ変わり”によって受け継がれてきたということです。

それでは、先代の“生まれ変わり”であるとされる次期ダライラマは、どのようにして探し出すのでしょうか。現ダライラマ14世が選定された経緯は、次のようであったそうです。

先代が亡くなるとまず、指導者不在の間に政治をあずかる「摂政」が選定され、この摂政と各僧院の高僧とが協力して、転生者の捜索を開始します。

まず一行は聖なる泉とされるラモイ・ラツォ湖に行き、祈りと瞑想を捧げます。チベットの人々は、この湖面に将来の状況が映し出されると信じているのだそうです。水面に現れるのは、文字や、場所を示す風景で、この時摂政も「ア・カ・マ」というチベット文字と、中心がトルコ石のような青緑色の瓦と、金色の屋根の寺院の風景を見ます。

これらの詳細は極秘のうちに書き留められ、それを伝えられた高僧、高官が全土に派遣されます。そして湖面で見た青緑色の瓦屋根の家を見つけると、その家に子供がいるかどうかを尋ねました。そこにいたのが、ラモ・トンドップという名の2歳の男の子。後のダライラマ14世です。

この後、誕生した時の様子や、先代の持ち物に愛着を示すか、などを基準に査定がされ、条件をクリアした場合に、先代の生まれ変わりと認定されるのだそうです。
(詳しくは『ダライ・ラマ法王日本代表部事務所』www.tibethouse.jp/dalai_lama/reincarnation/ )

ダライラマ以外にも、多くの高僧は”化身ラマ”であって、何らかの菩薩や先代の生まれ変わりとされています。ダライラマに次ぐ地位にあるパンチェンラマや、リンポチェという尊称で呼ばれている高僧たちがそれで、同じように先代が亡くなると捜索が始まり、例によって認定を受けた子供たちが英才教育を受け、大事に育てられていきます。


1959年チベットの首都ラサで、中国の制圧に対する大規模なデモが起こり、その動乱の中、ダライラマ14世はチベットを脱出し、インド北部ダラムサラでチベット亡命政府が樹立されました。現在も十数万人の亡命チベット人がインドその他の国で暮らしています。


ダライラマ制度とチベット民族の将来について、「チベット 生と死の知恵(松本栄一/平凡社)」で、ダライラマ14世が語っていたことが印象的だったので、以下に引用させていただきます。

「ひとつはっきりさせておきたいことは、チベットの将来は民主的な国であるべきだという点です。ですから、ダライラマが政治と宗教の両方の指導者の役を続けなくてはならないということはないのです。私は自由な人間になりたいのです。このような責任を背負っては生きたくないのです。(中略)老後は、自由な人間、僧侶として暮らしたいですね。許されるならば…。」

「チベット 生と死の知恵」(松本栄一/平凡社)

2011年、ダライラマ14世は、政治的指導者の立場を退く意向を示し、2012年、主席大臣(シキョン)が政治上の最高指導者と定められました。




主な参考書籍:「密教(正木晃 講談社)」「密教の思想(立川武蔵 吉川弘文館)」「チベット密教(ツルティム・ケサン/正木晃 ちくま新書)」「チベット 生と死の知恵(松本栄一/平凡社)」