2021/07

時間について

「人が考え始めた時」「哲学の始まり」のようなことを考える場合、私たちが使うのは直線的な時間。現在を軸にして、まっすぐ過去に遡ってゆく。その過去からしたら、当然現在は、時間的に“後”ということになります。そのような直線的時間を使うのは、現代の生活においては便利だからで、歴史を学ぶという時に出来事を理解しやすいから。

ですがそれは、どちらかというと便宜的なものであって、時間が真っ直ぐに進んでいる証拠なんて、実はどこにもなかったりします。「過去も現在も未来も、同時に存在している」という考え方があったり、今に全てがあるということも、体感として納得できるということはあると思います。

「哲学の技法」ジュリアン・バジーニ 著 の第9章「時間」の中では、“直線的な時間と循環的な時間”ということが書かれています。始まりがあり終わりがある直線的な時間は、最後の審判に向かって進んでいるという終末論、つまりキリスト教と相性がいいのだといいます。ですが実は、人類の歴史の大部分で採用されてきたのは、始まりも終わりもない循環的な時間であって、その繰り返す循環の中で人々は、時間を超越した、より大きなものに委ねる生き方をしてきたようです。

時間というものは、きっと多くの人が不思議さを感じるもののひとつであって、伸びたり縮んだりする感覚は誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。時間管理は大事だけれど、時間を忘れている時の方が、物事がスムーズに運んでいるなんてこともあったりします。

どこまでも切り刻んで細かくして使う人もいれば、風船みたいに膨らませて使う人もいる。ギフトであり発明でもあるこの時間というものは、きっと使い方は無限大で、どう使っていくかは、本当に自分次第なのですね。