2021/09

占いについて

世の中が不安定になると、占いが流行るとも言われています。昨今の占いブームも、そんな世の中を反映したものかもしれませんが、そもそも占いとは何なのでしょうか。全く信じないどころか拒絶する人もいれば、逆に依存してしまう人もいます。”当たるも八卦、当たらぬも八卦”などという言葉は、どちらかというと占いを嘲笑するような響きがあったりもします。ですが、そのように、何かが”当たる”という時、そこでは何がどう働いていて、一体どこからその情報がやってきているのか?ということを考えてみると、そこにはもしかしたら、私たちの人生をより面白くするヒントが隠れているかもしれません。

■占いの種類

私たちがよく目にする占いは、大まかに分けて「命・相・卜」の3種類に分類されます。

・「命」とは、生年月日を元にして、生まれ持った性質や、運気などのようなものを見ていきます。西洋占星術(ホロスコープ、星占い)、四柱推命、紫微斗数など。

・「相」とは、外側に現れている特徴から、様々な情報を読み取り、改善方法を見出していきます。手相、人相、家相など。

・「卜」とは、その場で”偶然”現れた結果を元に、必要な情報や助言などを得ていくもの。易やタロットなど。

これらの占いに、リーディングやチャネリングなどを織り交ぜたり、いわゆる霊感というものを使って、情報を得ていくやり方もあります。占いの基本的なところを一通り学んでみると、どれも元々はシンプルな法則しかなく、「この結果が出たからこうである」というものは、実は一切ないのだということがわかります。ではなぜ、占いというものが成り立っていて、多くの人が、そこに何かを求めるのでしょうか。

■占いの是非?

元々の法則がシンプルだからこそ、そこには人が自由に解釈を与える余地があります。目の前に助言を求める人がいて、なんとかしなければと思った時、そのシンプルな法則から様々な言葉が生まれ、更にそこに多くの思惑が絡んでいけば、いつしか、複雑で神秘的な”何か”がそこに出来上がっていくのだと思います。自分にはわからない”何か”に判断を委ねたいという気持ちは多かれ少なかれ、誰しも持っているものかもしれません。

私が、3年ほど前に初めて四柱推命の命式を調べようと思ったのも、あれこれ模索しつつ、何か行き詰まりのようなものを感じていた時でした。そして自分の命式を読んでいると、ふいに、無数の軸からなる座標のようなものに、様々な記号のようなものが散りばめられているようなイメージが浮かびました。その時感じたのは、なんというか、これは自動振り分けのようなものかもしれないということです。肉体の細胞が各々の定位置に自然と収まるように、何か私たちもこの宇宙の中で、自然と各々の場所に振り分けられているのだなあ…というような。もちろんそれは人間界における具体的な場所というのではなく、エネルギーとしての大まかな位置ということです。

言ってみれば、占いの奥に流れているものは、そういったとても大きな自然の法則だったり、より高次の世界から流入したシステムだったりするのかもしれません。ですから占いの本質は、安易に何かを決めてもらうためのものではなく、より深く自分を知るためだったり、より高次の可能性に身を投じてみることだったりするのではないでしょうか。

逆に言えば、”占い”というポップな方法で、それを楽しみながらできるところがポイントであって、占いの存在意義はそんなところにもあるのかなと思ったりします。たまに、占いなんて信じないとか、何とでも言えるじゃないかと目くじら立てる人もいますが、それはそもそも、占いに何かを”決められている”と思い込んでいるからなのかもしれません。

■占いの楽しみ方

占いに依存してしまったり、悪い結果が出たり怖いことを言われたりして落ち込んでしまう、というのはよく聞くことでもあります。そこに絶対的で神秘的な”何か”があるのだと思い込んでいると、そのようなことが起こってしまうのではないでしょうか。あくまでも、そこにあるのはただの”何か”だということにして、それを受け取って解釈するのは、最終的には自分だというスタンスでいることが大切じゃないかなと思います。ただそこに力みは必要なく、「自分で決めなくてはいけない」のではなく、「自分で決めていいんだ」とラクな気持ちでいることもポイントで、そうすることで、受け取り方も変化して、いわゆる直感を磨く練習にもなったりするのではと感じています。

■最後に

ある占い師/ホロスコープ研究家の方は、「どうしたら占い師になれますか?」とよく聞かれるそうで、そんな時は「そんなもの受験勉強みたいものだから、勉強すれば誰だってなれる」と答えるそうです。占いは、何か特別な力が必要であると思っている人が多いようです。占いの本質は、占い師になるかどうかというところにはないという意味でもあるのでしょう。少し占いを学んでみると、様々なタイプの占い師の方に出会います。中には、その占術がいかに自分の人生のイベントを的中させたかにこだわる方もいます。その場合、一体何が起こっているのかと、その奥にあるものを探求していく方もいれば、その”当たる”ことにこだわることで、よりその”占術の結果”を現実化させていく方もいるようです。

そんな中で思うのは、やはりどんな場合も、楽しむことを忘れてしまっては、不本意な方向へ向かってしまうのだということ。様々な思惑が絡みやすいからこそ、しっかり自分主体で付き合っていくことが大切。そういうスタンスであれば、思いがけず前進のきっかけとなったり、視点がさらっと変わったりするところが、占いの面白いところだと思います。