2021/10

プラティヤハーラ

インド思想の中で、面白いなと思ったものの中に、「プラティヤハーラ」があります。ヨーガの指導などではよく、心穏やかに保つための方法として語られたりもします。「感覚を制御する」であったり、「意識を内側に向ける」だったり「外界への意識をコントロールする」だったり、色々な説明がされていますが、それがいわゆる自分に集中することであったり、自分軸で生きるということにも繋がってくるのだろうと思います。

そもそも、なぜプラティヤハーラが必要なのか?というところから説明してくれているのが、「聖なる科学(スワミ・スリ・ユクテスワ )」です。この本の中では、広く”真の自己を知る”という目的のための方法が、順を追って書かれており、その一部としてこのプラティヤハーラが登場します。

プラティヤハーラとセットで語られるのが、「プラーナヤーマ」で、こちらは調息法とも呼ばれています。不随意神経、つまり意識的にコントロールできない、心臓の鼓動や自律神経などをコントロールすることで、得られる境地があるそうなのですが、ここでは割愛します。そして逆に、”随意神経”つまり、意識的にコントロールできる感覚器官に関する実践が「プラティヤハーラ」ということになります。

どのように説明されているかというと、”外界に向かって働いていた随意神経の生命エネルギーを引き揚げて、内面に集中すること”。一見、なんのことやらかもしれませんが、私たちが自分に集中できない時、外側のことが気になってやりたいことができないという状況は、つまるところ、自らの生命エネルギーを外側に対して使ってしまっているということ。要するにそれをやめたいなら、”引き揚げれば”いいのだということですね。テクニック云々の前に、そのイメージがあるとわかりやすくないでしょうか?

そしてここからが面白いなと思ったのですが、なぜプラティヤハーラが必要かというと、まず前提として「人は欲望をいだくと、それを果たして楽しむ」ものであって、地上においてその欲望を果たしきるまで何度でも生まれ変わってこなければならないというのです。輪廻の終息、解脱ということを最上の目的とする思想においては、欲望とは抑えるものではなく、果たしきるものなのですね。

その欲望を楽しむ際に、感覚を外側の対象に向けて働かせてしまっては、本当の満足は得られないどころか、欲望は倍増しキリがなくなってしまいます。いつまでたっても、欲望を果たしきれないということが起こってくるのです。そこで、外側にではなく、”内なる自己”に向かって感覚器官を働かせることができれば、心は真の満足を得ることができ、この世の欲望を果たしきることができるのだそうです。

私は特にヨーガを熱心に実践しているわけではないし、解脱を目指しているわけでもないですが、この”欲望を果たしきる”というところに惹かれてしまったのです。私は昔からどちらかというと「欲がない」と言われる方で、現実の世界で何かを達成するとかそういうことにあまり熱心になれないところがありました。ですがそれは当然ですが、「欲がない」のではなく、現実世界との折り合いがつかないというような側面があっただけで、実現したらワクワクすることとか、手に入れたら嬉しいなと思うものは、たくさんあるのです。おそらく、それらが実現しにくかったのは、自分以外のところへエネルギーを漏らしてしまっていたからでもあるし、元々持っているもので何となくの満足を得てしまっていたからかもしれません。

このプラティヤハーラということを意識するだけでも、自分が外側へエネルギーを漏らしてしまっている瞬間に気づきやすくなると思います。とにかく、何か本当に望むことをやっている時には、自分の内側に意識を向けるということ。どう思われるかではなく、自分がどう感じているのか。頭で考えるのではなく、エネルギーを内に引き揚げるイメージで淡々と行うことがコツかなと思います。

ということで、自分の欲望というものは、目を逸らすことなくしっかり果たしてあげることの方が自然であるのだなと納得できた、というお話でした。きっとそれをする時、自分だけでなく、周りにいる人も同時に豊かになっていくのだと思います。