2021/10

時の影響

時代の変化とは一体、何をきっかけに起こってくるのでしょうか。高度な文明はどのように発展し、なぜ衰退してしまうのでしょうか。飛躍的な進展が、ある時突如として人類にもたらされるように見えるのはなぜでしょうか?

近年、精神の世界や霊的な事がらに対する関心が高まり、時代が大きく変わっていくのだと論ずる人たちが現れました。多くの人が、実際に変化を感じていて、価値観から何から、ひっくり返ってしまったと捉えている人も少なくないと思います。その様な変化が起こってくる背後にあるものは何なのでしょうか?

私たちの住むこの地球には、何か抗えない流れのようなものがあり、ここに影響を与えているものが何かあるのではないかと、古来より人々は、空を見上げて想いを巡らせたことでしょう。そうしたところから生まれた占星術などは、天体が地上にもたらす影響を研究することで、地球そのものや人の人生を推しはかる道具として発展してきました。

「聖なる科学」でスワミ・スリ・ユクテスワは、宇宙を支配する”時の影響”というものは偉大であるとして、天体の周期に基づく「ユガ(期・宇宙的季節)」に関する見解を与えてくれています。


■天体の周期

・東洋の天文学によると、太陽には対の星が存在し、太陽系はその周りをまわっている。
・太陽は対の星の周りを回りながら、更に、宇宙大中心ヴィシュヌナービの周りをまわっている。
・ヴィシュヌナービとは、創造力ブラフマ(宇宙磁気の座)であり、精神的徳性に影響を与える。
・太陽が、ヴィシュヌナービに最も近づいた時、精神的徳性は最も高まる。(ちなみに秋分点が牡羊座)






・それぞれのユガの前後は100年〜400年の薄明期、薄暮期となる。カリ▶︎100年、ドワパラ▶︎200年、トレータ▶︎300年、サティヤ▶︎400年ずつ。

            

■歴史的考察

実際に、歴史上の出来事と照らし合わせてみると、次の様なことが見えてきます。
スワミ・スリ・ユクテスワによると、この本の執筆時1894年が、上昇ダイヴァ・ユガのドワパラ期194年ということなので、宇宙大中心から地球が最も遠ざかったのは、西暦500年ということになります。つまりここが最暗黒期で、前後それぞれ1200年が「カリ・ユガ」すなわち、人間の精神的徳性が最も低く、物質を超えたものを理解することができない時期。

このカリ・ユガが、歴史上どんな時期だったかというと、いわゆる枢軸時代、哲学の出発点(前8世紀〜前3世紀)であり、地上であらゆる思想が発展しはじめた頃から、フランスでルイ14世が絶対王政を行い、ベルサイユ宮殿が建設されたり、対外戦争が激化しスペイン継承戦争が起こった頃。そして世界は革命の時代へと入っていく、というそんな時代。そんな風に見ていくと、仏陀の言う一切皆苦の”苦”は、今の時代の比ではなかったのかな、なんて思ったり。また、暗黒の世に哲学が発達したのは頷ける様な気もします。

最暗黒地点の西暦500年頃、日本がどんな時代だったかといえば、古墳時代・大和朝廷の頃。その前後が暗黒期であるとすると、確かに、平和であったとされる縄文時代が終わり、内乱が起こったり、王権を巡る血生臭い争いがあったりと、イメージ的にも暗い印象があります。最暗黒期が過ぎると、今度は宇宙大中心ヴィシュヌナービに向かって上昇を始めます。ドワパラ・ユガが始まる西暦1700年は江戸時代で、関ヶ原の戦いがあった1600年は、カリ・ユガの薄暮期に入った頃ということになります。

ちなみに、少し前から縄文時代が注目されたりもしていて、「約13,000年前から1万年も続いた」時代であったことはよく知られる様になったのではないかと思いますが、この13,000年前というのが、宇宙大中心に地球が最も近づいた頃なのです。下降ダイヴァ・ユガの周期と共に精神的徳性が低下し、争いがもたらされ衰退していったとすると、なるほど…という感じでもありますね。


■私たちは今どの辺にいるのか?

さて、それでは今私たちが生きる西暦2021年はどんな時期なのかというと、上昇ダイヴァ・ユガのドワパラ期が始まって321年目。薄明期の200年を過ぎ、本格期に入っています。このドワパラ期というのは、人間が、この物質界を作り出している「精妙な電気的力を理解する」時期なのだそう。スワミ・スリ・ユクテスワは執筆当時の1894年に、「本格期に入れば、人類はより一層電気的力を理解するようになるだろう」と言っています。確かに、電気の活用という点ではものすごい勢いで発展しているけれど、私たちが「精妙な電気的力」を理解しているかどうか?と言ったらそれは疑わしいかもしれません。

そして、電気的力を理解した後には、磁気的力を理解することになるそうです。人間の知能が”宇宙の全て”を理解する「サティヤ・ユガ」まで、上昇していく過程にいるのですね。その様な見解のもと、現時点を確認してみると、決して悲観的になることはないのだと思えるのではないでしょうか。これを二元的に捉えるとつまらなくなってしまいますが、現在とは全く違う価値観が作り出す世界があるとして、それはどんなだろうと想像することが、私は好きです。周りを見渡して感じる違和感だったり、そういうものを、その世界の住人ならどんな風に変化させていくだろう?とか…

何にせよ、今いるこの時代が、歴史に残っているどの時代よりも、上昇気流に乗っていることは実感としても感じられるのではないかと思っています。これまでのどの時代よりも軽やかで、自由度が高く、命も大切にされています。ほとんどのことに解決策はあり、誰もがアクセスできるところまで来ていて、それが必要な人の手に届きさえすればいいという状態。すべきことはだから、求めるものに手を伸ばすということだったりもします。そんな世の中。ひとりひとりが何を選ぶか決められる時代。


■時の影響を克服する(?)

スワミ・スリ・ユクテスワは、この時の影響ということを、克服できる人もいる、ということにも少し触れています。そのような人が、”神の国”を知るのだそうです。いつの時代にもいた天才と言われるような人、はたまた聖者、仙人などのような人たちが、その部類に入るのでしょうか。例えばそれを目指したとして、もし今が上昇している過程にあって、より精神性が高まっている時期なら、かつてのような大変な修行は必要ないのかもしれませんね。

私たちの住むこの地球は、決して単独で存在するのではなく、宇宙の流れの中で絶えず変化しているのだということを感じてみること。物質世界の中でがんじがらめになってしまった時、ふとその大きな流れに身を委ねてみるこで、新たな可能性が見えてくることもあるでしょうし、その上で改めて、目の前のことに対峙していけば、それ程悩むことではなかったことに気づくかもしれません。抗えない流れを感じたとしても、それを克服することだって、もしかしたら案外簡単にできてしまったりするかもしれません。

このような見解もひとつの参考にしながら、目先のあれこれに捉われすぎず、強くしなやかに生きていきたいですね。